サッカー元日本代表FWの大黒将志(40)が、1月22日(金)にオンラインで引退会見を行いました。会見では時折、笑顔を見せながら「やり残したことはない」と清々しい表情で語った大黒。この日をもって22年間に及ぶ長い選手生活にピリオドを打ち、今後は古巣であるガンバ大阪の下部組織のコーチに就任することを表明しました。

「プレーさせていただいたガンバ大阪、コンサドーレ札幌、グルノーブル(フランス)、トリノ(イタリア)、東京ヴェルディ、横浜FC、FC東京、横浜F・マリノス、杭州緑城(中国)、京都サンガF.C.、モンテディオ山形、栃木SC……」

22年間に及ぶ長い選手生活の中で、数多くのクラブを渡り歩き、ストライカーとして点を取り続けた大黒の引退会見は、まずこれまで所属した全12チームへの感謝の言葉から始まりました。さらに、日本代表時代のジーコ監督や代表スタッフ、サッカー協会やスポンサーなど、現役時代にかかわった一人ひとりへの謝意を丁寧に述べていきます。

「長く活躍できる選手を育てたい」

大阪・豊中市で生まれた大黒は、ガンバ大阪のジュニアユースで経験を積み、そのまま1999年にガンバ大阪でプロ入り。2005年に日本代表に召集され、ドイツW杯(2006年)のアジア予選で大活躍。特に2005年2月9日の北朝鮮戦、後半アディショナルタイムに挙げた決勝弾は日本中を熱狂させ、「神様・大黒様」という“尊称”も生まれました。

海外ではフランスリーグ2部のグルノーブル、イタリア・セリエAのトリノに所属。J2のチームを渡り歩いた晩年になっても、ストライカーとしての嗅覚はおとろえず、キャリア通算で公式戦540試合222ゴールという華々しい成績を残しました。

引退を決断した理由について大黒は、「体も痛いところはないし、まだぜんぜん点も取れますけど、やっぱりもう1つの人生の目標として監督・コーチ業でも成功したいというのがある」と回答。古巣のガンバ大阪から下部組織のコーチとしてのオファーをもらったことで、新しい目標に向かっていく決断ができたことを語りました。

指導者としては、「育成年代から、僕が知っていることをしっかり伝えて、いつでもどこでも誰とプレーしててもゴールができるような選手になってもらいたい。1人でも、長くトップチームで活躍できる選手を育てていきたい」と言います。

また、現役生活でやり残したことについて聞かれると、「やり残したことはないけど、もっとゴールしたかったな」と笑いながら、「これから直属の後輩にあたるガンバの子たちに全力で教えさせてもらって、その子たちがたくさんゴールを取ってくれることが僕の喜びにもなる」と、後輩たちに思いを託しました。

印象に残る名選手は!?

一方、「ともにプレーして印象に残っているパサーはだれか」という質問に対して、中田英寿、遠藤保仁、中村俊輔、小野伸二、小笠原満男、二川孝広ら稀代の名選手たちの名前を挙げた大黒。「ここ20年くらいの素晴らしいパサーの人たち、ほぼ全員とプレーさせてもらえた。みんなのパスを受けれたっていうのは本当に幸せなことでした」と、自身の数多くのゴールを演出してもらった仲間たちへの思いを馳せます。

また、ディフェンダーとしては中澤佑二の名前を挙げ、「中澤さんは本当に凄いなと思いました。チームメイトでも2年やらせていただいたんですけど、自分のトラップが10センチとか20センチ、少しでもイメージと違うところに行くと後ろから突っつかれる。本当に素晴らしいなと思います」と称え、「(J1での)僕の1点目のゴールは中澤さんの足に当たって入ってくれた。(そういう面でも)本当に感謝しかないです」と、笑いながら振り返りました。

30歳過ぎて「まわりの人のために」

長い選手生活で何をモチベーションにしていたのかと聞かれた大黒は、こう振り返ります。

「最初は自分のことで精いっぱい。でも代表にもなって、ワールドカップにも出させていただいて、上手くいきだして30歳を過ぎてからは、自分のことよりもチームのため、チームメイトのため、その地域のためにと思っていました。まわりの人のためにゴールしたいというのが、いちばんのモチベーションでしたね」

終始、落ち着いた清々しい表情で質問に答えた大黒。今後は「一流の監督になれるように一歩ずつ、いろいろ勉強してやっていけたらと思っています」と力強く語りました。

 


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