2020年度の文化功労者に選ばれたお笑いタレントの西川きよしが11月4日(水)、都内のホテルで開かれた顕彰式に出席しました。漫才師として初の選出にして、吉本興業にとっても創業108年の歴史で初の快挙。その後開かれた記者会見では、妻のヘレンさんとともに喜びを語りました。

座右の銘そのままの人生

「なによりも“漫才師”として選んでいただいたことが本当に嬉しかった。本当に感謝でいっぱいです。これからも、初心を忘れることなく謙虚に努力して、みなさんに笑っていただける西川きよしでいたいと思います」

感無量の様子で喜びを語るきよしの隣で、妻のヘレンさんも「このたびは身にあまる光栄に存じます。長きにわたり支えてくださり、応援してくださったみなさんのおかげだと思います」と謝辞を述べたうえで、身近な存在である妻の立場から夫・きよしについてこう語りました。

「手前味噌ではありますが、何事にも誠心誠意の人だなとつくづく思いますし、“小さなことからコツコツと”という座右の銘そのままの人生を歩んできたと思います」

ボケに喜びを感じたやすしさん

漫才師としては、故・横山やすしさんに誘われる形で1966年にコンビを結成、“やすきよ”の愛称で親しまれ、そのしゃべくり漫才で日本全国を笑わせました。80年には文化庁芸術祭の優秀賞を受賞するなど、数々の功績を残しています。その後、政治家に転身し、86年の参院選で初当選。3期18年にわたって参議院議員を務めました。

それまでの常識を変えた2人の独特な漫才は、コンビ結成初期から形づくられてきたもの。当時は、テーマを決めて、それぞれ10分ずつ考えてきたネタを1本の漫才に仕上げていく、というスタイルで、もともとはやすしさんがツッコミ担当、きよしがボケ担当。それを、あるとき逆にしてみたところ、ボケでウケることに喜びを感じたやすしさんから、「ボケってこういうもんなんかぁ、キー坊」と上機嫌で言われたんだとか。「そのころから、ほかの人とは違う漫才の形ができてきたように思います」と、自分たちを分析します。

質疑応答で、記者から「やすしさん」と言い間違えられると、「いや〜、いまだに呼び間違えられるなんて、新鮮です。やすしさんのことを覚えていてくださるってことですよね。ありがとうございます」と笑顔で場の空気を和ませるきよし。

「いまもやすしさんは僕の中で元気に存在しています」と話し、「今日もやすしさんはこの会場のどこかにいらっしゃると思います。『これから生活どうしよう』と思うことも何度もありましたが、本当に不思議な巡り合わせで出会えたんだなと思います。やすしさんには感謝しています」と、しみじみと語っていました。

夫の背中を見つめて涙

一方、ヘレンさんは、夫の晴れ舞台となったこの日の心境をこう打ち明けます。

「式典では感無量でございました。顕彰されるみなさんの背中を見させていただいているうちに、主人もそのお仲間に入れていただいたことが嬉しくて、思わず涙がこぼれました」

その言葉にきよしも、「家内が後ろで涙を流しながら僕の背中を見つめていたのは、いま初めて知りました。嬉しいです」と応えます。続けて「最初に会社から(文化功労者の)知らせを受けたときは、僕は泣いてどうしようもなくて。今日はなにがなんでも泣かないようにしようと思ってたんですけど……」と言いながら、思わず瞳を潤ませていました。

また、2016年1月に手術した前立腺ガンについて、ヘレンさんが「いまは何事もなく健康に暮らせています」と説明したうえで、「当時は尿もれがひどうございまして、オムツを2枚3枚と重ねて大変だったんですが……」と話し始めると、驚いたきよしが「そんなことまで話すか!?」とツッコむ一幕も。

最後にきよしは、今後のお笑い界について、「これからは漫才の形も変わっていくと思います。しっかりがんばっていただいて、後に続いてもらいたい」とエールを送ったうえで、現役バリバリの立場としてこう意気込みました。

「千鳥や和牛、ミキだとか、そういう若い方がきっとこれからの新しい漫才の形を作っていくと思うんですけど、僕は負けないようについていきたいし、勉強していきたい。そして、初心に帰って漫才をやりたいです。この歳になっても新しい漫才を追求していきたい」


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